神様がくれたインド旅

~ある夜突然、頭に浮かんだインドの地名“バスタール”  それだけを理由に訪れた初のバックパックの旅。これは、その一部始終をつづった旅日記です~

vol.11 インドのバスに乗る!

神様からのメッセージには、実はインド旅では完結していなかった!!

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vol.01 突然、謎の文字が頭に浮かびまして・・・からご覧ください。

 

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vol.10 さらばChandoori Sai

神様からのメッセージには、実はインド旅では完結していなかった!!

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vol.09 Chandoori Saiを宿に決めた2つの理由

神様からのメッセージには、実はインド旅では完結していなかった!!

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vol.08 インドのリズムに体を慣らす

Chandoori saiのオーストラリア人オーナーLeonは、

僕を温かく歓迎してくれた。

 

着くなり腹が減っただろうと、

チキンと地元オーガニック野菜の煮込みとライス、

それに洋梨とショウガとグラノラで作った自家製デザートまで出してくれた。

 

よく考えるとインドに着いてからろくな食事をとっていない。

美味しいごはんを腹いっぱいたべると、

「疲れたろうから今日はもう寝なさい。」と立派なツインルームに案内してくれた。

シャワーを浴びると久しぶりのベッドで泥のように眠った。

 

11/1 【3日目】


翌朝起きたのは6時すぎ、思いのほか寝起きはすっきりしていた。

 

軽くゲストハウスの中庭を歩く。

晴天にもやがかかり、朝露に濡れる芝生を裸足で歩くと、気持ちがいい。

体に溜まった疲れをアースしている気分だ。

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Chandoori saiの中庭

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ベッドに戻り寝覚めのヨガをしてから、

同じ客のオーストラリア人ファミリーと朝食を共にした。

 

オーストラリア人が愛するパンのお供”VegeMite”なるものを進められたが、

彼らがむしゃむしゃ食べるほど、僕にはパンが進むものではなかった。

自国では伝統ある発酵食品らしい。

彼らに日本の納豆を進めるようなものだから、

口に合わなくてもお互いさまというものだ。

 

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Vegemite

彼らはロングバケーションを利用して、

インド一周6週間の旅に来ているらしい。

しかも、ドライバー兼ガイドと通訳と車をチャーターしているというから

きっとお金持ちにちがいない。

 

北インドから反時計回りでここまで来た中では、

エローラ石窟と、バラナシのガンジス川がおすすめらしい。

 

朝食後は彼らに誘われて、近くの集落と野原の散策に出かけた。

ガイドが絶景だというわりにそうでもない風景をいくつか通ると山道をそれた。

田んぼの間の幅20センチもないあぜ道を落ちないように通り抜け、

引っ付き虫だらけの草原を抜けて、2時間半後に宿に戻った。

 

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宿の付近の風景

昼食かと思いきや、12時に出発して今度は僕と宿のガイド、

それになぜかファミリーのドライバーの3人で、

宿から20kmほど先にある原始的な市場に向かった。

 

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市場は人でごった返している

 

 

インドで履き捨てるつもりだったおんぼろスニーカーだったが、

午前の散策で早くもダメになった。

サンダルを100ルピーで買い、サリーを150ルピーで買わされた。

 

市場には日用品よりも、食料品や屋台のほうが多い。

さっきからおいしそうなにおいがあちこちでしている。

てっきりここで食事するのかと思ったら、どうやら違うようだ。

 

赤ちゃんの首だけの汚れた人形の口に何かを挟んで見物客となにやらやり取りしている、

わけのわからないマジックを見て宿に戻った。

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謎のマジックを大勢が取り囲んでいる


 

お腹の音はずっと鳴りっぱなしだ。

Leonが「ちょっと遅いけど、ランチ食べるかい?」というので、

当たり前だと言わんばかりに大きく「Yes!」と返事して、

14時半ごろやっと昼食にあり着いた。

vol.07 インドの洗礼②

ヴィシャカパトナム行きのIndiGOは不思議な便だった。

 

途中下車があるようで、目的地の前にブヴァネシュワルに停まった。

降りようとするのをCAに制止されてやっと理解した。

ヴィシャカパトナムも終点ではないようで、

僕たちを降ろすとまたすぐ離陸の準備に入っていった。

時計は14:30を指している。

 

コルカタの空港で両替のスタッフに聞いたところ、

このヴィシャカパトナム空港内には、SIMショップがあるとのことだった。

 

またぐるっと港内を一周し、そしてまたSIMショップはなかった。

もしかしたら僕の聞き間違いだったのかもしれない。

こうなれば出口で待っていてくれるであろう、

宿にチャーターしてもらっているタクシードライバーにお願いして

SIMショップに連れて行ってもらうしかない。

 

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挨拶もそこそこに、SIMが売っている店を知っているか聞くと知らないというので、

SIMメーカーのAirtelの看板を見つけたら停まってほしいと伝えて出発してもらった。

空港を出て10分もしないうちにショップを見つけた。

これでやっとインターネットにつながる!

 

タクシーを停めて店に入ると、

2坪くらいの広さにカウンターがあり、

パソコン1台以外なにもない簡素なレイアウトに、

学生っぽい3人が座っている。

 

日本のショップと設備は雲泥の差だ。

とにかくSIMさえ買えれば文句はない。

「SIMください。」と言うと、2人のスタッフは少し困惑している様子。

英語がちゃんとわからないが、どうやらSIMの購入にはインド人IDが要るらしいのだ。

 

IDは何とか彼らどちらかのを借りることができたのだが、

今度は通話のみでインターネットができないSIMしかないという。

「それは困る」というと、また困り顔で何やら現地語で相談している。

 

案を出しては、うまくできずを繰り返し、気づけば30分以上経っている。

なんとかインターネットもできるようにしてもらい、

700ルピー(1ルピー=約1.7円)払って急いで宿へ向かう。

 

なんと今から5時間もタクシーで走るのだ。

宿では主人が夕飯を作って僕のことを待っていてくれている。

 

タクシーは海沿いの街ヴィシャカパトナムを出ると、

東ガート山脈をゆるやかに抜けて山岳地帯に入る。

その間ずっと幅4mほどのセンターラインもない舗装路を走った。

 

道路には人、自転車、バイク、オートリクシャ、リクシャ、トラック、

タクシー、牛、鶏、犬、あらゆるものが行き交う。

日本なら一生分以上のクラクションを聞きながら、

同じようなカオスな集落を繰り返す。

 

大きなサイババの写真が飾られた門が見えたかと思うと、

ほんの500m先の街路樹の根元には、

100枚は下らないサイババの額縁がガラスも割れて山積みにされている。

たったこれだけの距離でサイババに対する崇拝が天と地の差になるほどの、

何がいったいあったのいうのか。

 

最初はこれぞカルチャーショック!と興味津々だったのが、

 

なんだか独特の臭いとスラムな雰囲気に悪酔いし、

なんでこんな所に来たのかと後悔が僕を襲ってきた。

 

 珍味を食べて美味しいと思ったとしても、

ずっとそれを食べ続けるのはしんどいものだ。

早く日本食が食べたい。そんな風に日本を焦がれた。

それでも口にはひっきりなしにインドという珍味が放り込まれ続ける。

これは拷問だ。

 

「もう嫌だ、帰りたい…」を2時間くらい続けると最終的に、、、慣れた。

いわゆる耐性というものがついた。

さっきと変わらぬ景色を見ても、なにも感じなくなった。

ああ、きっとこれがインドの洗礼なのだ。


そう噛みしめた21時過ぎ、

タクシーは山岳部族の集落のなかに建つゲストハウス、

チャンドーリサイに到着した。

vol.06 インドの洗礼①

「日本に帰りたい…」

 

僕がそうつぶやいたのは、

コルカタから国内線でヴィシャカパトナム空港に着き、

そこから最初の宿泊先であるチャンドーリサイに向かうタクシーの中のだった。

インドに着いた初日のことである。

 

逆三角形のインドでコルカタは右の角とすると、

そこから下の角までの辺の中間にヴィシャカパトナムがある。

バスタールはそこから少し中心に入ったところにある。

 



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今に至るまでずいぶん長く感じる。

関空からタイでトランジット、

コルカタに到着したのは現地時間で10月31日0:45頃だった。

 

心配していたアライバルビザは想定通り1時間ほどかかったが、

やはり事前申請の手間を考えると楽なものだ。

どうせ次の国内線まで10時間もあるのだから、暇つぶしになってよかった。

 

無事に入国審査を経て次の暇つぶし、SIMカード購入に向かう。

事前の調べでは、主要空港では港内にショップがあるらしい。

見落としのないように全部回ったが、見つけることができなかった。

 

これは大きな誤算だった。

空港のフリーWi-Fiは2時間制限だったので、

宿泊先に予定通り向かっている旨のメールを打ち、

SIMショップが空港近くにないか調べていると、

もうタイムオーバーになった。

 

まるでマッチ売りの少女が、

最後のマッチの消えるのを眺めるような切ない気持ちでスマホをしまい、

ベンチでふて寝しては、徘徊し、同じ店でコーヒーを買うというのを

何度もルーティーンする。

こんなことならイモトのWi-Fiにしておくんだったと後悔しても後の祭りだ。

 

しかし不思議なのは眠いのに寝られないことだ。

知らぬ地で、言葉も通じないという緊張感が抜けずにいた。

そのぶん疲れが溜まってきているのがよくわかる。

せめて日本人でも居てくれればいいのだが、

深夜のコルカタの空港には、極東アジア人すらひとりも見当たらない。

居るのは、手すりの隙間にすっぽり入り横長ベンチで器用に横になるか、

あるいは地べたで横になる中央アジア人ばかりだ。

 

起きているひとは日本人が珍しいようで、

ずっとこっちを気にしているように見える。

それがまた緊張感を高めては眠れない、の悪循環をずっと繰り返し、

コルカタにやっと朝が来た。

 

国内線のセキュリティチェックを済ませたのは9時前。

同じ空港でもエリアが変わると新鮮味がでて、

時間が過ぎるのも少し速く感じる。

 

フライトまであと1時間という時に、ゲート付近の人々がいっせいに移動し始めた。

どうやらゲートが変わったようで、若いインド人青年が親切に教えてくれた。

さらにもう一回出発ゲートが変わったあと、

ヴィシャカパトナム行きの飛行機はコルカタをあとにした。

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長い長い乗り換え時間の末、

やっと乗り込んだ飛行機のなかで自分のシートを見つけると、

そこにはインド人の男性がすでに座っている。

 

インド人の年齢はわかりづらいが、おそらくまだ成人前だと思う。

5回ほどチケットと座席番号を確認したが、間違いなく僕の席だ。

3シートの窓側で間違いない。

 

意を決して「すみません。そこは僕の席だよ。」というと、

「知ってるよ」と返事してきた。

 

面食らってしまったが、「じゃあ、変わってくれるかい。」というと、

「いや、ここに座りたい。窓からの景色が見たいんだ。」と悪びれもせずに言う。

続けざまに「僕の席は隣だから君はここに座って。」と言って平然とまた窓の外を見る。

 

空港の待ち時間と睡眠不足でへとへとのところにこのありさまだ。

いい加減腹が立って「ダメだ。今すぐ代われ。」と語気を強めていうと、

しぶしぶ隣の自分の席に移った。

 

気を落ち着けようと窓の外を眺めていると、

どうやら青年の父親らしい人が現れ、青年の隣に座った。

この青年、窓の外を見たいという自分勝手な理由で、

青年・僕・父親の順に座らせようとしたのだ。

 

父親と会話をしては窓の外を眺める、

その狭間にいる気弱な日本人の気持ちを想像してほしいものだ。

 

vol.05 得ることと、与えること

決めたからにはインドのこと、何よりバスタールのことを調べ尽くす!

 

と意気込んで地球の歩き方を隈なく見たが、

バスタールのことは一言も書かれていない。

 

せめて、Google mapで場所を特定したいのだが、ヒットしない。

バスタールのスペルを調べるため、

最初に”インド バスタール”でヒットしたツアー会社のサイトを詳しく見たが、

カタカナ表記しかない。

ヒットしたのは2つのサイトだけで、他にはヒットしないのもなんか不気味だ。

意地のGoogle mapローラー作戦で発見したのは、”Bastar”(バスター)だった。

 

バスターなら情報がたくさんヒットする。

幸い少しは観光資源もあるようなので、

ホテルもなんとかなりそうだ。

 

何度も、何度も、何度も、旅程を組み直しいよいよ出発当日。

一人旅も、

バックパックも、

インドも、

そして目的のない旅も、

初めてづくしの旅がいよいよ幕を開ける。

 

最悪の場合死ぬこともあり得る。

外務省の危険度は下から2番目ではあるものの、

僕の行く地域はインドのなかでは危険なほうなのだ。

近くで一度外国人ファミリーが殺害されたこともあるらしい。

 

でも心の奥の奥では、「行きたい」とただそれだけを思っている。

最後に僕の背中を押してくれたのは、

あるメンターのお言葉、

「大丈夫。この旅の間、ずっと神様がそばに付いていてくれますよ。」

、だった。

 

目的のない旅だが、テーマは決めた。

何かを得にいくのではなく、何かを放ちに行きたい。

もっと言えば、何かを”与える”が旅のテーマだ。

 

インドにも、現地の人にも、

これを見てくれている人にも、

そして自分にも。

 

自分が得るのではなく、自分に与える。

違いはうまく表現できないが、

その行為のさなかにある自分の立ち位置が決定的に違う。

 

得ようとしている時の自分はその中心にあり、とても大きい。

そして、得たものは善悪問わずため込んでしまう。

溜めても溜めても得続けて、しまいには腐敗してくる。

僕はそういう状態だった。

 

この生き方でうまくいかなかったのだから、

思い切って惜しみなく与え尽くしてみたい。

 

僕ひとりの力で何が、どれほど変わるのかわからないが、

与えることで生まれたエネルギーは、

どんなふうに形を変えながら、どこに行きつくのか、

それを体験してみたい。

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