神様がくれたインド旅

~ある夜突然、頭に浮かんだインドの地名“バスタール”  それだけを理由に訪れた初のバックパックの旅。これは、その一部始終をつづった旅日記です~

vol.05 得ることと、与えること

決めたからにはインドのこと、何よりバスタールのことを調べ尽くす!

 

と意気込んで地球の歩き方を隈なく見たが、

バスタールのことは一言も書かれていない。

 

せめて、Google mapで場所を特定したいのだが、ヒットしない。

バスタールのスペルを調べるため、

最初に”インド バスタール”でヒットしたツアー会社のサイトを詳しく見たが、

カタカナ表記しかない。

ヒットしたのは2つのサイトだけで、他にはヒットしないのもなんか不気味だ。

意地のGoogle mapローラー作戦で発見したのは、”Bastar”(バスター)だった。

 

バスターなら情報がたくさんヒットする。

幸い少しは観光資源もあるようなので、

ホテルもなんとかなりそうだ。

 

何度も、何度も、何度も、旅程を組み直しいよいよ出発当日。

一人旅も、

バックパックも、

インドも、

そして目的のない旅も、

初めてづくしの旅がいよいよ幕を開ける。

 

最悪の場合死ぬこともあり得る。

外務省の危険度は下から2番目ではあるものの、

僕の行く地域はインドのなかでは危険なほうなのだ。

近くで一度外国人ファミリーが殺害されたこともあるらしい。

 

でも心の奥の奥では、「行きたい」とただそれだけを思っている。

最後に僕の背中を押してくれたのは、

あるメンターのお言葉、

「大丈夫。この旅の間、ずっと神様がそばに付いていてくれますよ。」

、だった。

 

目的のない旅だが、テーマは決めた。

何かを得にいくのではなく、何かを放ちに行きたい。

もっと言えば、何かを”与える”が旅のテーマだ。

 

インドにも、現地の人にも、

これを見てくれている人にも、

そして自分にも。

 

自分が得るのではなく、自分に与える。

違いはうまく表現できないが、

その行為のさなかにある自分の立ち位置が決定的に違う。

 

得ようとしている時の自分はその中心にあり、とても大きい。

そして、得たものは善悪問わずため込んでしまう。

溜めても溜めても得続けて、しまいには腐敗してくる。

僕はそういう状態だった。

 

この生き方でうまくいかなかったのだから、

思い切って惜しみなく与え尽くしてみたい。

 

僕ひとりの力で何が、どれほど変わるのかわからないが、

与えることで生まれたエネルギーは、

どんなふうに形を変えながら、どこに行きつくのか、

それを体験してみたい。

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