神様がくれたインド旅

~ある夜突然、頭に浮かんだインドの地名“バスタール”  それだけを理由に訪れた初のバックパックの旅。これは、その一部始終をつづった旅日記です~

vol.25 インドでは、列車の時刻とフロントチーフは信用ならない

 

11/4 6日目

早朝、

僕はVisakhapatnam(ビシャカパトナム)の

バススタンドにいた。

 

外はもやがかかっていて肌寒い。

昨晩乗った夜行バスは、

定刻通りにJagdalpurから発車した。

列車とは大違いだ。

 

インドの特急列車は移動距離が長いので、

寝台がついている。

それに比べ、バスは横にはなれないものの、

約9時間の移動で350ルピーは、

コストパフォーマンスがそうとう高い。

列車なら3,4倍の料金で遅延付きだ。

 

地方にもよるのだろうが、

インドではバスの便数も多い。

Jagdalpur→Visakhapatnamバスも、

20時発と22時発の2便があったらしい。

実際に2便あるかは定かではない。

なにせ例のいいかげんなフロントチーフの情報だ。

 

出発の前日に、

Visakhapatnamまでは、

列車とバスのどちらがおススメかと

チーフに聞いた。

「Train!」、即答だった。

翌朝もう一度同じ質問をしたら、

「Bus!」と同じく即答だった。

 

バスに決めてから、

今度は発車時刻を確認した。

チェックアウトの時にも

「僕は22時発のバスに乗るよ。

22時発で本当に間違いないね?」

と念を押した。

 

すると、

何度も聞くなと言わんばかりに

「Yes sir!」と返してきた。

 

それでも念のために、

バススタンドに20時30分に着くと、

バスは21時発だった。

フロントチーフとの

最後の握手をキャンセルしたい。

 

f:id:niniginomikoto:20190521200356j:plain

Jagdalpurのバススタンド

 

慌てて近くの食堂でターリーを食べ、

5分前にバスに飛び乗った。

ターリーはインドの定食のことだ。

 

f:id:niniginomikoto:20190521200542j:plain

ターリー


 

 

もっと速く食べ終われるはずだった。

しかしインドはいわゆるわんこそばスタイルが多く、

チャパティもカレーも、

どんどんおかわりを盛ってくる。

 

貫禄ある初老の店主もウエイターに、

「あの日本人にたくさん食わせてやれ!」

とでも指示しているようだった。

 

夜行バスは初めてで不安だったが、

隣に座ったのは若い警察官の男性だった。

ありがたい。

 

これで強盗などのリスクはぐっと減る。

警察で受けている、

軍隊並みのトレーニングの様子を、

スマホの写真で見せてくれた。

 

もっと彼のことを聞きたいのだが、

会話の合間に食べては車窓から捨てる、

お菓子のゴミに気がいって仕方がない。

 

本当にゴミ箱のように平然と捨てるのだ。

ましてや警察官が。

挙句の果てに、僕の食べたゴミまで、

奪って捨てられた。

こういうモラルについては、

本当に低俗だと言わざるを得ない。

 

お互いへたくそな英語で少し話をし、

スナック菓子をシェアして食べ、

ストールをシェアして眠りについた。

 

そしていま、バスはVisakhapatnamのバススタンドに到着した。

 

vol.24 Bastarとブッダの聖地が教えてくれた『悟り』

そのあとについにたどり着いた

Bastar村の滞在時間は、

たった20分程度だった。

 

f:id:niniginomikoto:20190521194627j:plain

Bastar村にはほんとに何もなかった

 

決めていたとおりおじいちゃんに、

「なにか食べたい。」と言って、

食堂に連れていってもらった。

 

サモサ2個と他にも少し注文して、口に入れる。

スッと出てきた感想は「うまい」ではなく、

「合う~」だった。

このあと何度もいろんな街でサモサを食べたが、

この感想はここだけだった。

 

f:id:niniginomikoto:20190521194742j:plain

上がサモサで、下の小さいのが他の揚げ物

 

ホテルに戻ると今度はちゃんと

おじいちゃんにチップを渡し、

渾身の思いを込めて握手をした。

 

込めた思いが何だったのか思い出せない。

無限の思いがあったような気もするし、

具体的にはなにもなかったのかも知れない。

 

まだまだ旅は半分も残っていて、

次回からは番外編として書いていこうと思う。

旅の最大の目的地”Bastar”を去る前に、

ここで中締めしてしてみたい。

 

ブッダの聖地が集まるブッダガヤーという町に、

マハーボディー寺院という大きなお寺がある。

 

その周りには日本を含め、

仏教徒の多い国々が国寺を連ねている。

 

タイ、ブータンチベットベトナム

モンゴルなどの寺で、

いろんなスタイルのお釈迦様を拝みながら回った。

その道中のことだった。

頭の中でこんな会話があった。

 

「悟りとは何ですか?」

ーそれは小さい穴だー

「穴のなかには何がありますか?」

ーそれを聞くと言うことは、今にいないということだ。

 それを知らずにただ決めて飛び込むのだー

「何があるのかわからないのに飛び込めない。」

ーなかには何もない。その空(くう)に飛び込みなさいー

 

ここで会話は終わった。

僕はこの旅という穴に飛び込むことを決めた。

穴は小さいのでなるべく荷物は、

少なくしたつもりだった。

 

それでもまだ多すぎたのか、

言葉、都合、インターネット、

猜疑心、固定観念、などを削がれていった。

僕の余計なものを落とすには、

インドのこの奥地がとても適していたのだろう。

 

日本とインドの価値観は対照的だと思う。

手段と目的、低俗と崇高、

この二軸グラフでは、

この二国は対角に位置するのではないだろうか。

 

ラクションと唾と乞食とゴミで

溢れかえった街に日本人は辟易する。

しかし、それでもまたインドを訪れる人も多いと聞く。

 

上品で崇高であっても、

目的のための手段ばかりを

生きている日本人は多いのではないか。

 

お金も家も食べ物も衣類も、

準備万端を目指す。

そして準備だけで終わる。

 

そう人にとって、

たとえ低俗であっても、

今の目的を生きるインドは

魅力にあふれているのではないだろうか。

 

物も心も荷物はなるべく少なくし、

覚悟を決めて小さく何もない穴に飛び込む。

そしてそこで太陽となって光を照らす。

それが、時を駆け、未来を変える、

僕のこれからの生き方なのだ。

 

深夜にインドを経った飛行機は、

真っ暗な空をはるか東に見える

小さな朝日に向かって飛んでいる。

 

 

次回から、旅後半の番外編としてご覧ください。

ありがとうございます。

vol.23 Bastarの太陽

 早すぎる再会を果たした僕とおじいちゃんには、

妙な親近感が湧いていた。

 

タクシーへ乗るなり

「Let's go Bastar!」と言うと、

おじいちゃんはニコニコしながら、

ミュージアムへも行こう。」と返事をした。

 

英語とタミル語の会話だが、

もう言葉の壁は感じない。

会話は成立しているのだ。

 

遠いほうのBastar村へ先に行ってしまいたかったので、

「Bastar、ミュージアム、ホテル、OK?」と伝えると、

「OK!」とにっこり返事をして、

おじいちゃんはタクシーを出した。

 

5分後、タクシーはミュージアムに到着した。

言葉の壁が想像以上に厚かったこと、

そしておじいちゃんとは以心伝心の仲だと

思っていたのでショックだったが、

言われるままに車を降りて、

おじいちゃんに付いていく。

 

僕は博物館の類いには、あまり興味がない。

しかも知らない土地にある、

何の内容かもわからない、

何が書いているのかもわからない、

そんな博物館になど興味の持ちようがない。

 

入り口を抜け、最初の展示室に入るなり、

また僕の胸は詰まり、

大きく大きく息をのんだ。

 

その博物館は、

Bastarの歴史を展示するところだった。

昔のBastarの村人の暮らしぶり、

仕事、祭事やそれにちなんだ道具などが、

実物や写真を通して垣間見れた。

 

興味があるが、惹かれるわけではない。

まるで大人になってから、

本当の親だと知った人物に会うような、

そんな不思議な感覚でミュージアムを後にした。

 

午前中に見たあの渓谷のように、

予期せぬ出会いがここにもあった。

この旅の目的の終着駅はここなのか?

Bastar村にそれ以上の何かがあるのか?

そんなことを考えながら30分ほど走ったあと、

タクシーは急に道端に停まった。

 

スマホGPSはまだBastar村の

5kmほど手前を指している。

おじいちゃんは「Bastar」と言うので、

「違う違う、僕の行きたいのは、ほらこの先だよ。」

スマホを見せる。

それでも「とにかくここで降りろ。」と

言っているようだ。

 

そこは道端にポツンと建つ、

まだ新しい土産物屋だった。

僕の趣旨とはまったく異なる。

おじいちゃんのことはもう信頼しているので、

何か買わされることもないだろうと中へ入る。

 

4つに部屋が分かれた長屋のような店内には、

木製、土製、鉄製、高級品が部屋ごとに分かれて

陳列されている。

 

順番に見て回り何も買わずに車に戻る。

そう決めていた。

鉄製品の部屋を見ているときに、

ひとつの商品に目がとまる。

 

ずっと後ろをつけてきたらしい

店主が初めて喋った。

「ソル」と言っている。

きっと太陽のことだ。

確かにそんな形をしている。

「これはBastar村で作られたものですか?」と尋ねると、

「ここにある商品はすべてBastar製です。」と答えた。

 

ここでひとつ思い出した。

僕が最近決めた人生のテーマがある。

”Be the Light”、光になるという生き方だ。

大切な人、仲間、知人、出会うすべての人にとって、

光の存在になりたい。

「そのことを忘れるな」

そう言われているような気がして、

その太陽のペンダントトップをひとつ購入した。

 

f:id:niniginomikoto:20190521193222j:plain

 

 

vol.22 Bastar村にまだ旅の目的は残っているのか?

Jagdalpurに帰ってくると

、タクシーはそのままホテルに着いてしまった。

おじいちゃんは両替のことをすっかり忘れているようだ。

またすぐに車を出してもらい、

近くの郵便局で停めてもらった。

ひとりで郵便局に入ると、中は人でごった返していた。

ゆうに200人はいる。

 

「両替できますか?」と英語で聞くも、

返事が何を言っているのか全く分からない。

僕の英語もひどいものだが、

インド英語の訛りもすごい。

 

困っているとタクシーのおじいちゃんが来て、

行列をかき分け、窓口に掛け合ってくれた。

 

「この日本人が両替できないと、

運賃が払ってもらえない。急いでくれ。」

 

どうもそんな感じだ。

しかし外貨両替は扱っていないらしい。

あきらめてすぐ近くにあるという銀行までタクシーを飛ばす。

 

それから3件回ったが、どこもダメだった。

Jeyporeまで戻らなければ、

外貨両替はできないらしい。

 

結局ATMでまたキャッシングをすることになった。

この時のおじいちゃんはもう単なるドライバーではなかった。

親が子の面倒でも見るように、

嫌な顔ひとつせず銀行員と掛け合い続けてくれた。

 

もちろん、運賃がもらえないと困るという気持ちが

大きかったのは、間違いない。

でも、つねにニコニコして、

嫌な顔ひとつせず、

まるで楽しんでいるかのようだったのだ。

 

ホテルに戻り、

支払いのほかにお礼のチップを用意しようとしたが、

支払うのはフロントにだった。

 

結局チップを渡すタイミングが見つからず、

去ろうとするおじいちゃんに

心からの感謝を込めて握手をした。

 

フロントに居たのは、

あの間違いだらけのチーフだ。

文句を言ってやりたかったが、

英語が出てこない。

 

せっかくの素晴らしい出来事が台無しになる気がして、

支払いを済ますと

「あのドライバーはとてもいい人だ!!」

と笑顔で言って、部屋に戻った。

 

ベッドに腰を下ろした僕は、

満足感に浸っていた。

もうじゅうぶんこの旅の意味を体験した気がした。

 

1時間ほど身の回りを整えながら余韻に浸ったあと、

やっぱりじわじわとBastar村に行きたい気持ちが再燃してくる。

 

フロントへ行って、

反対されても行くんだという覚悟が伝わるように、

「Bastar村行きのタクシーを呼んでくれ。」と言う。

 

本当は「できればさっきのドライバーをお願いしたい。」

と付け足したかったが、しなかった。

 

フロントチーフはやはり反対したが、

最後にはやれやれといった顔で手配を承諾してくれた。

その代わりにフロントの隣の観光案内室の男と話すように言われた。

 

僕はそのスタッフに

「Bastar村が何もないところだと知っている。でも行きたいんだ。」と伝えた。

しかし早口で低い声のインド英語で彼が何を言い返しているのかわからない。

 

「英語はうまく話せない。」と言うと、

あきれた顔で

「君がなぜBastar村に行きたいのか、私にはまったく理解できない。」

と言い放った。

 

僕は笑顔で「ありがとう!」と言って席を立ち部屋に戻ろうとすると、

廊下ですれ違ったチーフが声をかけてきた。

「さっきと同じドライバーを手配したよ。」

vol.21 「起こる全てに意味がある」の本当の意味

帰りのタクシーのなかで、

僕はもうBastar村行きを求めなかった。

それくらいじゅうぶんな体験があの渓谷にはあった。

 

ほんの一か月前には、

東インドのこんな山奥に来ることを

僕は全く知らなかった。

 

この旅の発射ボタンは自分で押したが、

そのほかのほとんどのことは、

たくさんの人の、

いや人だけでは説明のつかない

多くのものに導かれたように思う。

 

そしてBastar県に着き、

Bastar村を目指したら、

違う場所に着いた。

 

そしてその場所で運命を感じているのだ。

導かれたというほかない。

 

きっと、

自分が意図して求めたものは、

必ずそれを体験する機会が与えられるのだ。

たぶん、

これまでの人生で起きた良い事も、悪い事も。

 

自分の考えや方針、

方法を超越した何かがガイドしているのだろう。

自分に起きる全ての事に、

きっと意味があるのだ。

そう思うと感謝しかない。

きっとこれがこの旅のメッセージなのだ。

 

ここまでの想像は確かに僕によるものだった。

なぜなら心の中で、

思考言葉の順に創られたからだ。

しかしここから先は、言葉が思考追い越した。

 

"人生に起こることに、要らないものなど何もない。

人生で起こる全てのことに意味がある。と人は言う。

たしかにその通りだ。

 

しかし人はこの言葉を使う時、

何かを求めている。

喜びや悲しみのための手段としてこの言葉を使う。

 

しかし、この言葉は手段ではない。

この言葉こそが目的なのだ。

 

人生で起こる全てに意味があるから、

どの瞬間も真剣に生きなければならない。

そう生きるべきなのだ。"

 

たしかこんな言葉だった。

このメッセージを味わっていると泣けてきた。

なんの涙だったのか、

悲しいのか嬉しいのかわからないが、

タクシーの後部座席でしばらく泣いていた。

胸はまた苦しく、熱くなっている。

 

おじいちゃんはそんな僕に気づいているのかいないのか、

ただ何も言わず車を走らせている。

そのおじいちゃんを後ろから見ていると、

なぜだか余計に泣けてきた。

 

そのときのおじいちゃんは、

最初の印象とまったく違って、

とても崇高な存在に見えた。

きっとこの旅で一番大事なガイドなのではないか?そう感じた。

 

滝からホテルまでのちょうど中間き来た頃だろうか、

おじいちゃんが車を停めて、

道端の建屋に座っている若者のひとりに、

窓越しに声をかけた。

 

若者は返事をしてこちらに近づいてくる。

そして、ドア越しに立つ若者を僕に紹介した。

短いタミル語だ。

言葉はわからないが、意味はわかった。

 

「俺の息子だ。」と言っている。

ほんの数分のことだったが、

僕にはとても意味深いものに思えた。

vol.20 自分史上最高のモテ期と景色

その広大な原っぱにはファミリーや若者達が数組いた。

若者達が僕に気づいて近づいてくる。

 

国籍は?と聞かれ、日本だと答えたところから、

有名人ばりのちやほやが始まる。

 

「写真を撮ってくれ」だの、

「名前は?」だの「歳は?」だの、

質問攻めである。

 

答えるたびにみんなで「Wow!」と言って盛り上がっている。

僕の年齢のどこに感嘆できるのか?

何枚も、

何台も、

写真を撮られた挙句に、

並んだ彼らが順番に名前を紹介してくれる。

覚えきれずに3人くらい同じ名前で呼び返すと爆笑している。

f:id:niniginomikoto:20190212230341j:plain

 

彼らは隣の州の高校生らしく、

バイクでピクニックに来たそうだ。

日本人を見るのは初めてらしい。

 

そんなに珍しいのか、

二人の女の子が腕を組んでくるわ、

ツーショットを撮りたいと言ってくるわ、

興味深々だ。

自分史上初のモテ期である。

 

最後には「私って背が高い?」という

興味のクセがすごい質問を受けながしつつ、

おじいちゃんの後をついて先へ進む。

 

こんなただの原っぱが、

わざわざ外国人観光客を連れてくる場所には思えない。

しかし、危険な匂いはしなくなった。

100mくらい進んだところで、

僕はこれまでの人生で一番というほど大きく大きく息を飲み込んだ。

 

高さ300mはあろうかという絶壁。

その絶壁が半径400mほどの扇状になっている。

きっといつの時代にか、

この土地は地殻変動によって隆起したのだと思う。

その絶壁の扇の中心に僕は立っているのだ。

崖の下のはるか向こうにはさっきみた巨大な滝が小さく見てている。

f:id:niniginomikoto:20190212230427j:plain

f:id:niniginomikoto:20190212230515j:plain

奥のほうには、さっき居た滝が小さく見えている

 

いつの間にか、

死ぬかもしれないという感覚は、

犯罪に対するものから、

大自然への畏怖に対するものへと変わっていた。

 

もちろん一歩進めば崖から真っ逆さまに落ちるという恐怖もある。

しかし、それだけではない何かとてつもなく大きく、

厳格なものの手中に居るよう感覚だ

 

ちっぽけなひとりの人間など簡単に握りつぶしてしまえる、

そんな抗いようもない力の中にいる。

 

何の確証もないが、

ここへ来た日本人観光客はいない。

居たとしても数人だろう。

ネットにも何の情報もない。

 

ここは僕の想像していたBastarではない。

しかし、僕はこの場所に来ることになっていたと直感的に思った。

なぜなら、この旅、いやこの人生で一番胸が詰まって苦しい。

思考づくめの僕を本能が軽々とねじ伏せている。

 

「有難い」。

何を考えようとしても、この言葉しか出てこない。

15分か30分か、

ただただ、

その絶壁に座って景色というより

その場所が放っている波動のようなものを

全身全霊で感じ浸った

 

その間、おじいちゃんは僕から20mほど離れた木陰で、

催促もせずに座っていた。

vol.19 タクシーのおじいちゃんに身を委ねる

おじいちゃんと車に戻ると、

エンジンをかける前にBastar村の地図をスマホで見せた。

 

「ここに行きたい」と何とか伝えてみる。

伝わったのか、意外とすぐにOKっぽいジェスチャー

よっしゃ!と心で叫ぶと、すぐにおじいちゃんが付け足した。

「5km」。

 

それはおかしい。

地図上ではどうやっても5kmで行ける距離ではない。

近道があるのか?

 

まあいい。

今は黙って従うしかない。

この状況に身を委ねてみよう。

タクシーは元来た道を走りだした。

 

Bastar村に向かっているかどうかの結果は

5kmを待たずに出た。

 

進行方向左側にあるはずのBastar村に対して、

車は右に曲がってずっと進んでいるのだ。

一気に心がざわつく。

 

車一台がやっと通れる田舎道をどんどん進んでいる。

日本のように気が生い茂った山道ではなく、

四方を遠くまで見渡せるなだらかな坂道ではあるが、

明らかに奥地へと入っている。

 

身ぐるみをはがされるどころか、

最悪の場合死ぬかもしれない。

さっきのスープに睡眠薬でも盛られたか?でも、

そんな危険はこの旅でももう何度も感じたことだ。

 

それに、このおじいちゃんせこいがどうも性悪とは思えない。

山道を20分ほど走っただろうか。

車は道を右に反れて、でこぼこの原っぱに止まった。