神様がくれたインド旅

~ある夜突然、頭に浮かんだインドの地名“バスタール”  それだけを理由に訪れた初のバックパックの旅。これは、その一部始終をつづった旅日記です~

vol.21 「起こる全てに意味がある」の本当の意味

帰りのタクシーのなかで、

僕はもうBastar村行きを求めなかった。

それくらいじゅうぶんな体験があの渓谷にはあった。

 

ほんの一か月前には、

東インドのこんな山奥に来ることを

僕は全く知らなかった。

 

この旅の発射ボタンは自分で押したが、

そのほかのほとんどのことは、

たくさんの人の、

いや人だけでは説明のつかない

多くのものに導かれたように思う。

 

そしてBastar県に着き、

Bastar村を目指したら、

違う場所に着いた。

 

そしてその場所で運命を感じているのだ。

導かれたというほかない。

 

きっと、

自分が意図して求めたものは、

必ずそれを体験する機会が与えられるのだ。

たぶん、

これまでの人生で起きた良い事も、悪い事も。

 

自分の考えや方針、

方法を超越した何かがガイドしているのだろう。

自分に起きる全ての事に、

きっと意味があるのだ。

そう思うと感謝しかない。

きっとこれがこの旅のメッセージなのだ。

 

ここまでの想像は確かに僕によるものだった。

なぜなら心の中で、

思考言葉の順に創られたからだ。

しかしここから先は、言葉が思考追い越した。

 

"人生に起こることに、要らないものなど何もない。

人生で起こる全てのことに意味がある。と人は言う。

たしかにその通りだ。

 

しかし人はこの言葉を使う時、

何かを求めている。

喜びや悲しみのための手段としてこの言葉を使う。

 

しかし、この言葉は手段ではない。

この言葉こそが目的なのだ。

 

人生で起こる全てに意味があるから、

どの瞬間も真剣に生きなければならない。

そう生きるべきなのだ。"

 

たしかこんな言葉だった。

このメッセージを味わっていると泣けてきた。

なんの涙だったのか、

悲しいのか嬉しいのかわからないが、

タクシーの後部座席でしばらく泣いていた。

胸はまた苦しく、熱くなっている。

 

おじいちゃんはそんな僕に気づいているのかいないのか、

ただ何も言わず車を走らせている。

そのおじいちゃんを後ろから見ていると、

なぜだか余計に泣けてきた。

 

そのときのおじいちゃんは、

最初の印象とまったく違って、

とても崇高な存在に見えた。

きっとこの旅で一番大事なガイドなのではないか?そう感じた。

 

滝からホテルまでのちょうど中間き来た頃だろうか、

おじいちゃんが車を停めて、

道端の建屋に座っている若者のひとりに、

窓越しに声をかけた。

 

若者は返事をしてこちらに近づいてくる。

そして、ドア越しに立つ若者を僕に紹介した。

短いタミル語だ。

言葉はわからないが、意味はわかった。

 

「俺の息子だ。」と言っている。

ほんの数分のことだったが、

僕にはとても意味深いものに思えた。