神様がくれたインド旅

~ある夜突然、頭に浮かんだインドの地名“バスタール”  それだけを理由に訪れた初のバックパックの旅。これは、その一部始終をつづった旅日記です~

vol.24 Bastarとブッダの聖地が教えてくれた『悟り』

そのあとについにたどり着いた

Bastar村の滞在時間は、

たった20分程度だった。

 

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Bastar村にはほんとに何もなかった

 

決めていたとおりおじいちゃんに、

「なにか食べたい。」と言って、

食堂に連れていってもらった。

 

サモサ2個と他にも少し注文して、口に入れる。

スッと出てきた感想は「うまい」ではなく、

「合う~」だった。

このあと何度もいろんな街でサモサを食べたが、

この感想はここだけだった。

 

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上がサモサで、下の小さいのが他の揚げ物

 

ホテルに戻ると今度はちゃんと

おじいちゃんにチップを渡し、

渾身の思いを込めて握手をした。

 

込めた思いが何だったのか思い出せない。

無限の思いがあったような気もするし、

具体的にはなにもなかったのかも知れない。

 

まだまだ旅は半分も残っていて、

次回からは番外編として書いていこうと思う。

旅の最大の目的地”Bastar”を去る前に、

ここで中締めしてしてみたい。

 

ブッダの聖地が集まるブッダガヤーという町に、

マハーボディー寺院という大きなお寺がある。

 

その周りには日本を含め、

仏教徒の多い国々が国寺を連ねている。

 

タイ、ブータンチベットベトナム

モンゴルなどの寺で、

いろんなスタイルのお釈迦様を拝みながら回った。

その道中のことだった。

頭の中でこんな会話があった。

 

「悟りとは何ですか?」

ーそれは小さい穴だー

「穴のなかには何がありますか?」

ーそれを聞くと言うことは、今にいないということだ。

 それを知らずにただ決めて飛び込むのだー

「何があるのかわからないのに飛び込めない。」

ーなかには何もない。その空(くう)に飛び込みなさいー

 

ここで会話は終わった。

僕はこの旅という穴に飛び込むことを決めた。

穴は小さいのでなるべく荷物は、

少なくしたつもりだった。

 

それでもまだ多すぎたのか、

言葉、都合、インターネット、

猜疑心、固定観念、などを削がれていった。

僕の余計なものを落とすには、

インドのこの奥地がとても適していたのだろう。

 

日本とインドの価値観は対照的だと思う。

手段と目的、低俗と崇高、

この二軸グラフでは、

この二国は対角に位置するのではないだろうか。

 

ラクションと唾と乞食とゴミで

溢れかえった街に日本人は辟易する。

しかし、それでもまたインドを訪れる人も多いと聞く。

 

上品で崇高であっても、

目的のための手段ばかりを

生きている日本人は多いのではないか。

 

お金も家も食べ物も衣類も、

準備万端を目指す。

そして準備だけで終わる。

 

そう人にとって、

たとえ低俗であっても、

今の目的を生きるインドは

魅力にあふれているのではないだろうか。

 

物も心も荷物はなるべく少なくし、

覚悟を決めて小さく何もない穴に飛び込む。

そしてそこで太陽となって光を照らす。

それが、時を駆け、未来を変える、

僕のこれからの生き方なのだ。

 

深夜にインドを経った飛行機は、

真っ暗な空をはるか東に見える

小さな朝日に向かって飛んでいる。

 

 

次回から、旅後半の番外編としてご覧ください。

ありがとうございます。